「デミアン」(ヘッセ)

精神世界についていくことができなくなっている

「デミアン」(ヘッセ/高橋健二訳)
 新潮文庫

些細な理由で
悪童クローマーに脅され
苦しむ「私」(シンクレール)は、
ある日、
町にやって来た少年デミアンに
救われる。デミアンは
明と暗の両者が存在する
二つの世界について語る。
それは「私」の心に衝撃を与え、
揺さぶり続ける…。

若い頃、水色一色の新潮文庫刊の
この小説を読み、
いたく感動した記憶があります。
デミアンの説く世界について、
作中のシンクレールと同じレベルで
新鮮な驚きを感じたのです。
カインとアベルについて
聖書とは異なる解釈をする
デミアンの言葉によって、
シンクレールだけでなく
私の中の善と悪の区別が曖昧となり、
ひいては善と悪が逆転していくような
感覚に浸りました。
目から鱗が落ちるようでした。

キリスト教的考え方の定着していない
日本人であっても、
勧善懲悪に見られるような
善悪の二元論的見方は
大勢を占めているはずです。
ドイツを初めとする世界各国、
そして日本の若者が心を奪われるのは
当然なのかもしれません。

大人がつくりあげた
既成の価値観になじめず、
社会に対して漠然とした不安を
感じるのが青年期の特徴です。
私もそうでした。
そんなときに出会った
このデミアンの言葉は、
「その価値観は
正しくないかもしれない、
いや間違っているんだ」と
私の精神に強く訴えかけてきたことを
覚えています。

デミアンだけではありません。
その母親・エヴァ夫人の存在も
衝撃的でした。
彼女はシンクレールが無意識のうちに
思い描いていた理想の女性が
具現化したような存在です。
自分の母親であっても
おかしくないような
年上の女性に惹かれる神秘な出会いに、
私の鼓動も
昂ぶったことを思い出しました。

そうした感覚は、
最終章「終りの始まり」で
頂点に達します。
戦争(第一次世界大戦)が始まり、
世の中の価値観が
まさにひっくり返ろうとしている
その瞬間の臨場感、
押し寄せてくる終末感の高まり。
破壊の先に見いだされる希望。
そのすべてに心を躍らせました。

でも、この年になって、
美しい表紙・大きな活字となった本書を
再び読み返してみると、
若い頃体感した高揚感を、
感じることができないのです。
作品の持つ精神世界に
ついていくことができなくなっている
自分を発見したような
空しさを感じます。
本作品は、出会うべき年代が
限定されているのかも知れません。

中学校3年生に薦めてみたい作品です。
中学1年生で「少年の日の思い出」
「車輪の下で」を読み、
仕上げとして本書「デミアン」を読む。
いかがでしょうか。

(2020.10.26)

Lukas_RychvalskyによるPixabayからの画像

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